信長の野望の最新作が発売されたようである。
これまで信長の野望と三国志はほとんど買ってきたが、
今作は買う気がまったくない。
最近の「兵法連鎖」システムが大嫌いなのもあるが、
次にあげる別の理由が大きい。
最近のコーエーゲーム(とくにオフラインのPCゲーム)で不満なのは、
なんといっても「拡張性のなさ」これに尽きる。
ゲームデータの表面的な部分にしか改造を加えられず、
時には変更できないマスクデータすら存在する。
そのゲームをどのように遊ぶかは購入したプレイヤーの自由ではないのか?
信長の野望革新を例に挙げてみよう。
足軽など各兵科の攻撃力を変更できるか?
各施設の建設速度を変更できるか?
技術開発の系統や効果を変更できるか?
新しい兵科を追加できるか?
新しいイベントを追加できるか?
答えは全て「できない」である。
(高度なプログラミング知識があれば出来るだろうが一般的ではない)
たびたび賛美して恐縮だが、
HOI2では全て出来る。その一例としてSSを見て欲しい。
これはHOI2の研究開発のツリー画面の一つだが、上は製品版そのもののSSだ。
それに対して下はMODと言われる拡張キットを導入した画面である。
これだけ変更できるのである。研究ルート、研究の効果まで全て変更できるのだ。そしてこれにはパワーアップキットやその他専門的なソフトを必要としない。
すべてWindows付属のソフトで改造できるのである。
(テキストファイルがメインなため)
このためHOI2では多くのユーザーがMODという拡張キットを作成し公開している。
もちろん無料で。他人の改造が気に入らなければ自分で改造してもいい。
手間はかかるが、相当細かいところまで調整できる。
極端な例を挙げれば登場人物全てを入れ替えることも可能だ。
(第2次大戦が舞台のゲームなのにキャラゲー大戦MODといって、
世界中の国家をゲームメーカーに置き換えたものすらある。
将軍や政治家はすべて各ゲームメーカーのソフトの登場人物になっている)
なぜコーエーが拡張性を重視しないのかというと、拡張性を持たせることによって一つのゲームを「やりつくす」までの時間が圧倒的に増加し、シリーズ新作が売れなくなることを恐れているのではないかと思う。
しかし私は逆だ、と考えている。
むしろ拡張性があるゲームの方が売れる、と思う。
ゲームメーカーの開発資源は有限である。
しかし拡張性のあるゲームなら、多くのユーザーを開発資源として取り込めるので
はないだろうか。ゲームメーカーは何もしなくてもユーザーがコンテンツを勝手に増やしてくれるのである。結果、そのゲームの商品価値は飛躍的に向上する。
シリーズの新作が売れなくなる心配もない。
なぜなら拡張性のあるゲームはユーザーによる「コンテンツ追加」が期待できる。
言ってみれば値上がり確実な株のようなものだ。だから買う。
日本のゲーム開発者にはしばしば自分が作ったゲームが改造されることを嫌う人が
いる。自分の作ったゲームが究極の完成形だとでも思っているのだろうか。
人員、時間、予算すべて有限で作っているゲームが完成形のはずがない。
開き直ってユーザーの手を借りようじゃないか。
三国志12はそういうゲームにしてみようぜ。
たぶん日本中のユーザーが応えてくれるはずだよ。
これまで信長の野望と三国志はほとんど買ってきたが、
今作は買う気がまったくない。
最近の「兵法連鎖」システムが大嫌いなのもあるが、
次にあげる別の理由が大きい。
最近のコーエーゲーム(とくにオフラインのPCゲーム)で不満なのは、
なんといっても「拡張性のなさ」これに尽きる。
ゲームデータの表面的な部分にしか改造を加えられず、
時には変更できないマスクデータすら存在する。
そのゲームをどのように遊ぶかは購入したプレイヤーの自由ではないのか?
信長の野望革新を例に挙げてみよう。
足軽など各兵科の攻撃力を変更できるか?
各施設の建設速度を変更できるか?
技術開発の系統や効果を変更できるか?
新しい兵科を追加できるか?
新しいイベントを追加できるか?
答えは全て「できない」である。
(高度なプログラミング知識があれば出来るだろうが一般的ではない)
たびたび賛美して恐縮だが、
HOI2では全て出来る。その一例としてSSを見て欲しい。
これはHOI2の研究開発のツリー画面の一つだが、上は製品版そのもののSSだ。
それに対して下はMODと言われる拡張キットを導入した画面である。
これだけ変更できるのである。研究ルート、研究の効果まで全て変更できるのだ。そしてこれにはパワーアップキットやその他専門的なソフトを必要としない。
すべてWindows付属のソフトで改造できるのである。
(テキストファイルがメインなため)
このためHOI2では多くのユーザーがMODという拡張キットを作成し公開している。
もちろん無料で。他人の改造が気に入らなければ自分で改造してもいい。
手間はかかるが、相当細かいところまで調整できる。
極端な例を挙げれば登場人物全てを入れ替えることも可能だ。
(第2次大戦が舞台のゲームなのにキャラゲー大戦MODといって、
世界中の国家をゲームメーカーに置き換えたものすらある。
将軍や政治家はすべて各ゲームメーカーのソフトの登場人物になっている)
なぜコーエーが拡張性を重視しないのかというと、拡張性を持たせることによって一つのゲームを「やりつくす」までの時間が圧倒的に増加し、シリーズ新作が売れなくなることを恐れているのではないかと思う。
しかし私は逆だ、と考えている。
むしろ拡張性があるゲームの方が売れる、と思う。
ゲームメーカーの開発資源は有限である。
しかし拡張性のあるゲームなら、多くのユーザーを開発資源として取り込めるので
はないだろうか。ゲームメーカーは何もしなくてもユーザーがコンテンツを勝手に増やしてくれるのである。結果、そのゲームの商品価値は飛躍的に向上する。
シリーズの新作が売れなくなる心配もない。
なぜなら拡張性のあるゲームはユーザーによる「コンテンツ追加」が期待できる。
言ってみれば値上がり確実な株のようなものだ。だから買う。
日本のゲーム開発者にはしばしば自分が作ったゲームが改造されることを嫌う人が
いる。自分の作ったゲームが究極の完成形だとでも思っているのだろうか。
人員、時間、予算すべて有限で作っているゲームが完成形のはずがない。
開き直ってユーザーの手を借りようじゃないか。
三国志12はそういうゲームにしてみようぜ。
たぶん日本中のユーザーが応えてくれるはずだよ。
コメント
その手の人が武将画像を萌えヲタ系のものに変えれてるくらいでw
ちと長くなりそうなので省略しますが、拡張性が妙な方向に向いて来てるのは感じませんか?例として最たるものはドラクエ9。つまりネットで次々新しい(?)内容が追加されていっている=買ったときは完全版じゃない。ネットで拡張されるとはいってもそれは公式のものであり、ユーザー自身があれこれ創造できるわけではない(又は公式のルールにのっとったものしか作れない)のに、買った時はすべてを遊べないという。これでそのうち追加で金を取るんじゃないかと…中途半端にオンラインゲームの世界だね。もっと言うと私は近い将来、ゲームが総オンライン化してしまうのではと思って危惧してます(ああ、これは話を脱線)。
ジュローさんの持ってる不満とは少し違うかもしれない、、、。
私は最近萌芽しつつあるオンラインでのコンテンツ追加に対しては肯定的です。
本文の通り内容が100のゲームを120、150と拡張していけるからです。
ユーザーの要求が多様化している中、最初から全部の要求を満たしたものを作るのはもはや不可能ではないかという思いもあります。またユーザーのリアクションを見てからコンテンツを追加することが出来るというのも大きいんじゃないかと。
そして一番重要なのはその120への拡張の選択権はユーザーにあるという点で、
ある程度ベースが面白いゲームじゃないとコンテンツ追加は意味がない。
(特に有料コンテンツは元ゲームへの支持がなければ・・・・)
ただ問題は、おそらくS.T.Sさんの危惧はこういうことだと思うのですが、
内容が30のゲームを発売し、50,80,100と後から「有料で」「復元させる」ケース。これは大いに可能性がありますね。
おなじダウンロードコンテンツでも「拡張」ととるか「復元」とるかは人にもよりますが、基本パッケージの値段設定とその基本パッケージでどれだけ遊べるかかが問われるでしょう。要は最初のパッケージ内容が100と思えるか思えないか。
私は最初が80くらいでも将来的に200に出来るならそのほうがいいと考えてます。
でも最初が30なのはさすがにアウト。このあたりのバランスが難しい。
他にも小売店とのからみもあったりと書きつくせないですね。