システムは不自由なもの
2011年7月22日 ゲームこのところ会社でシステムの構築を担当している。
予算が潤沢ではないので、パッケージ品をカスタマイズするという方針で開始した。私はシステム屋ではなく、システムの要件を外注業者に指示する立場であるが、あくまでユーザーサイドとして「出来て欲しいこと」を伝えるのが仕事である。
そこで直面したのが、
「ユーザーが思っているほど、システムは自由に変更できない」
という現実である。
私のほうでユーザーサイドの意見をまとめて外注業者に伝えるのだが、
「それは難しい」「それは追加費用をいただかないと・・・」という答えが想像より多い。もちろん私がユーザーサイドの意見をまとめる際に、費用対効果を考えて「これは難しいだろう」「これは追加費用が要るだろう」という物は選別しているのにだ。有体に言えば「えっ、それできないの?」「それそんなに難しいの?」というのが頻繁にあるのである。
業者選定をミスったといわれればそのとおりであるが、あまりにも想像との違いが大きかったのは衝撃であった。
(本来はシステム開発に詳しい人がやるべき仕事だと思うが)
ここから思ったのは「最近のゲームにも同じ現象が起きているのではないか」ということだ。
かつて私は「もったいない」と思うゲームが最近多いとこのブログに書いたことがある。ここをこうすればもっと面白いのに。これが出来たらもっと面白いのに。それを実現するのはそんなに難しくないだろう?と。
だが上記の事情に直面した今考えると、私が「簡単なのになぜやらない」と思っていたことは、製作者サイドからすると「簡単ではないからやれない」ことだったのではないか。もちろん最大の要因は開発コストだとは思うけれども、ユーザーサイドが考えるコスト感覚が製作サイドの実コストと乖離しているようにも思う。
コンピュータシステムが飛躍的に向上した結果として、実際の開発能力以上にユーザーサイドの「出来て当たり前」のレベルが高くなっているのである。
時折ユーザー側がメーカーに憤るのは、簡単だと”ユーザーが”思うことをメーカーがやらないケースが多いはずだ。ユーザーが「それは手間がかかるよな」と考えることは、たとえ出来なくてもそれほど不満にはならない。
この状況はアップデートを繰り返してコンテンツを足していくオンラインゲームには厳しい。オンラインゲームをやる人たちはもともとゲームへの欲求が強いため、長時間プレイするのが普通だ。
大航海時代もそうだが、やがてサービス開始から時間が経つにつれユーザーの期待に開発能力が及ばなくなってしまう。これがユーザーサイドには「怠慢」「ユーザー軽視」と移る。
こうなると「今あるコンテンツによる満足感」があっても、「自分の希望が実現しない不満」が強くなってくる。結果、ユーザーはゲームから離れていくし、新しいものも敬遠する。
一方、最近流行の携帯ゲームのほうはユーザーの期待がもともと高くないように思う。携帯ゲームをやる層自体が、ゲームに対しての欲求が低い人が多いし、プレイ時間も短い。ヘビーなゲームユーザーでも「携帯のゲームだからこんなもん」という意識が働く。このため、「今あるコンテンツによる満足感」が存在するかどうかだけが勝負になる。
まぁこのあたりの事情は、すでに誰かが言い尽くしていることではあろうが、
最近身をもって理解したという次第である。
予算が潤沢ではないので、パッケージ品をカスタマイズするという方針で開始した。私はシステム屋ではなく、システムの要件を外注業者に指示する立場であるが、あくまでユーザーサイドとして「出来て欲しいこと」を伝えるのが仕事である。
そこで直面したのが、
「ユーザーが思っているほど、システムは自由に変更できない」
という現実である。
私のほうでユーザーサイドの意見をまとめて外注業者に伝えるのだが、
「それは難しい」「それは追加費用をいただかないと・・・」という答えが想像より多い。もちろん私がユーザーサイドの意見をまとめる際に、費用対効果を考えて「これは難しいだろう」「これは追加費用が要るだろう」という物は選別しているのにだ。有体に言えば「えっ、それできないの?」「それそんなに難しいの?」というのが頻繁にあるのである。
業者選定をミスったといわれればそのとおりであるが、あまりにも想像との違いが大きかったのは衝撃であった。
(本来はシステム開発に詳しい人がやるべき仕事だと思うが)
ここから思ったのは「最近のゲームにも同じ現象が起きているのではないか」ということだ。
かつて私は「もったいない」と思うゲームが最近多いとこのブログに書いたことがある。ここをこうすればもっと面白いのに。これが出来たらもっと面白いのに。それを実現するのはそんなに難しくないだろう?と。
だが上記の事情に直面した今考えると、私が「簡単なのになぜやらない」と思っていたことは、製作者サイドからすると「簡単ではないからやれない」ことだったのではないか。もちろん最大の要因は開発コストだとは思うけれども、ユーザーサイドが考えるコスト感覚が製作サイドの実コストと乖離しているようにも思う。
コンピュータシステムが飛躍的に向上した結果として、実際の開発能力以上にユーザーサイドの「出来て当たり前」のレベルが高くなっているのである。
時折ユーザー側がメーカーに憤るのは、簡単だと”ユーザーが”思うことをメーカーがやらないケースが多いはずだ。ユーザーが「それは手間がかかるよな」と考えることは、たとえ出来なくてもそれほど不満にはならない。
この状況はアップデートを繰り返してコンテンツを足していくオンラインゲームには厳しい。オンラインゲームをやる人たちはもともとゲームへの欲求が強いため、長時間プレイするのが普通だ。
大航海時代もそうだが、やがてサービス開始から時間が経つにつれユーザーの期待に開発能力が及ばなくなってしまう。これがユーザーサイドには「怠慢」「ユーザー軽視」と移る。
こうなると「今あるコンテンツによる満足感」があっても、「自分の希望が実現しない不満」が強くなってくる。結果、ユーザーはゲームから離れていくし、新しいものも敬遠する。
一方、最近流行の携帯ゲームのほうはユーザーの期待がもともと高くないように思う。携帯ゲームをやる層自体が、ゲームに対しての欲求が低い人が多いし、プレイ時間も短い。ヘビーなゲームユーザーでも「携帯のゲームだからこんなもん」という意識が働く。このため、「今あるコンテンツによる満足感」が存在するかどうかだけが勝負になる。
まぁこのあたりの事情は、すでに誰かが言い尽くしていることではあろうが、
最近身をもって理解したという次第である。
コメント